1.第一次抗争期(日本史の原型)-聖徳太子と能徐太子-   目次へ    次へ

 

1.日本の歴史が背負っているも

人々を幸せに導くために、歴史上、どれほど多くの人々が努力してきたであろうか。しかし、いまだにそれは実現されていない。人を愛し、世界に平和をもたらすことが目的の宗教間でさえ、争いが耐えない。それが何故なのか、その答えを正しく導き出した人がいただろうか・・・。


 一人の人間の心の中で、良心と邪心の二つの相反する心が、常に闘っていることはほとんどの人が感じていると思う。その心に外部から働いて来る見えない力がある。それを一般的には「魔が差す」という。邪心に働きかけてくる霊的な力だ。その逆に、良心に働きかけてくる力もある。


 そのような霊的な働きかけは、国を動かそうとする人物たちには、より強く働いてくるようになる。つまり、その人物たちの動きをつぶさに追っていくと、悪の勢力「魔界」の目的と、善の勢力「天界」の目的が、人間を操りながらぶつかり合っていることに気付くことになる。ここでは簡単な表現で伝えておくが、魔界の目的は人類を分裂に貶めることであり、天界の目的は和に至らしめることである。魔界は人間を恨みと憎しみの関係に引きずり込み、争わせようとする。天界は恨みと憎しみを越え、許しあい思いやりあえる心を育もうとする。そのような自己よりも他者を思いやれる心を、神性を帯びた心と呼ぼう。

人間の心情が神性を帯びるためには、母の胎内に宿されたとき、いや、それ以前から注がれ続ける母性愛が重要なのだ。その心の土台がなければ、どんなに厳しい修行を行おうとも、神聖な愛を実感することは難しい。つまり天界は女性の母性愛を啓発させ、神の使命を受けるにふさわしい器を持つ男を誕生させようとしてきた。魔界は男の権力欲に直接働きかけて分裂させ、恨みと憎しみの渦巻く世の中に貶めようとする。天界は人間の心の根っこから、魔が働く要素を取り除こうとする。その戦いが、大和朝廷の始まりの歴史から現れているのだ。

天界は、天皇家の家系において、神性を帯びた母性の血統を立てようとしてきた。その最初の結実が聖徳太子こと、厩戸皇子であった。またそれまでの、皇位に就く為に繰り広げられた争いによって渦巻いた、恨みや憎しみの象徴として立った人物が、蘇我馬子によって暗殺された崇俊天皇の長男・蜂子皇子であった。

2.大和政権をめぐる攻防

大和政権は物部氏をはじめとする大和の豪族が、崇神天皇(当時は大王であるが)を立てて共立し、豪族の連合体として成立した。このような政権では、信仰の対象である神の意思を大王が正しく受け止め、大王を支える豪族たちが強調して実現していく時、国は正しく治まり、和合していく。この連合体に天界は注目された。

天界が注目すれば、魔もこのシステムを我が物にするために横行するようになる。つまり、権力を握る者が現れ強権を振るう時、連合体は逆に独裁システムと化し、宗教の真意までも変容させていく。人間が本来の願いから離れ堕落してしまった存在では、個人の心においても組織においても、正と邪の闘いが現れてくる。その闘いは独裁王として名高い雄略天皇の代から、激しく現象化してくる。

五世紀に実在した第21代雄略天皇は、即位できる立場にはなかったが、有力な皇位継承者を次々と殺して、強引に王権を奪い取った。天皇となってからは自らの独善によって政局を動かし、罪もない人々を殺してしまうこともあったという。

雄略天皇が崩御されると、雄略天皇の皇子の清寧天皇が後を嗣いだ。ところが清寧天皇には子供が無く、後継者に悩むことになる。そのような折に、雄略天皇が皇位継承者を次々と血祭りに上げた際に、父を殺されながらもかろうじて生き延び、身を隠していた兄弟二人を、朝廷の臣下の者が思いがけない出会いから見出す。清寧天皇はこの二人を自分の後継となる皇子とした。清寧天皇が崩御されると、皇太子となっていた億計皇子と弟の弘計皇子は、互いに天皇の位を譲り合い、一向に皇位に着こうとしなかった。兄の億計皇子は、「弟の弘計皇子が名乗ろうと言い出さなければこのようなことはなかった。皇位は弟が嗣ぐべきだ」と語り、弘計皇子が顕宗天皇となった。顕宗天皇が在位三年で崩御されると、兄の億計皇子が皇位に就き仁賢天皇となった。仁賢天皇の治世下では、天下は仁に帰し、民はその業に安んじていると記録されている。

 


3.大和における母性の芽生え(許しの愛)

仁賢天皇が崩御されると、その皇子が第二十五代武烈天皇となった。この武烈天皇は雄略天皇をも上回る暴挙を繰り返し、民衆が飢えているときにも酒池肉林を繰り広げ、人を苦しめることに快楽を求めた暴君であったと記録されている。人の心を操る魔の勢力の魂胆は、独裁そのものではなく、それを通して恨み渦巻く世の中へと貶めることだ。だが、神の業も人間の持つ本心からの真心を通して働こうとする。親と子に、相反して神と魔の闘いが現れる、壮絶な活動基盤の奪い合いが続いていた。

これらの「日本書紀」の記述から浮かび上がった内容を、すべて事実のものと受け止めることはできないが、ここに暗示された霊的真実は正しく見出さねばならないと思う。とくに兄の仁賢天皇と弟・顕宗天皇の逸話は謙譲の精神にあふれている。弟・顕宗天皇が即位していた時、彼は父の仇である雄略天皇に恨みを晴らしたいと思い立つ。雄略天皇の墓を暴こうとして、兄の億計皇子に任せることになるのだが、億計皇子は雄略天皇の陵墓に向かい、その側の土を僅かに掘っただけで帰って来た。顕宗天皇はその事を知ると「どうしてか?全て破壊して来て欲しかった」と問い詰めた。それに対して、億計皇子は「そんな事をして何になりますか。まがりなりにも雄略天皇は天下を治めた方。その墓を暴くなどしても、天皇の徳が失われるだけです」と答え、顕宗天皇はそれで納得された。兄の仁賢天皇は恨みを許しの愛で克服した人物であり、天皇になってからもその精神で治世したことを思わせる。

仁賢天皇が実感として体得した許しの愛を土台としながら、神はこの日本民族の繊細な情緒を見込んで、神聖なる母性の愛を育む国造りを、具体的に進めようとされたのだろう。すると魔は、仁賢天皇の後継である武列天皇を魔界側に奪おうと働きかけてくる。襲い掛かる邪悪な霊たちの情念に引きずり込まれて、彼は独裁者と化していくのだ。しかし、神の業は追い込まれた絶望の淵から立ち上がってくる。(武烈天皇は天皇家の後継が絶えたことに、つじつまを合わせるための架空の人物とも言わている。)

武烈天皇は雄略天皇と同じように天皇家一族を次々に殺してしまい、跡継ぎが居なくなってしまっていた。そこで第15代応神天皇から五世を経た孫と伝えられる男大迹(おおど)尊が見出され、仁賢天皇の長女である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后として継体天皇となる。つまり、婿養子のような形だ。あまりにも血縁が遠いので、まったく別の朝廷が立てられたと見る歴史家もいるほどだ。しかし、天界からすれば、許しの愛を実感として治世に顕した仁賢天皇の、母性の血縁からまったく新しい出発をしたということだ。その継体天皇の、というよりは手白香皇女の皇太子が即位し欽明天皇となる。この欽明天皇から用明天皇、そして聖徳太子へと三代にわたって、日本民族の女性に向けて母性愛の教えを浸透させるための天界の業が始まる。それも仁賢天皇の皇太子を魔界が狙って引きずり込んだ一件を元に返すために、神の業は独裁を強めていく蘇我氏の血族に入っていく。いや、魔の勢力のほうが神の業を押しつぶすために、蘇我稲目の娘が欽明天皇の皇后となったとも言える。つまり、神と魔の母性の血統をめぐっての、すさまじい駆け引きが地上界を動かしていたのだ。

その駆け引きに打ち勝つために、聖徳太子を通して天界が願ったことは、当時の朝廷にかかわる女性たちが、仏教の教えを実感として生きられるようにするために、推古天皇自身が勝鬘経の教えを、太子と同次元で受け止めることだった。そのことこそ、真の和による律令国家を作るための鍵となるものだったのだ。その教えが日本民族に浸透することによって、権力と能力を兼ね備えた人物も、魔の勢力の働きかけを退けることのできる慈愛の心を兼ね備えるようになる。そこに、真の和の国を建設できる可能性を見出せたのだ。

4.母性に満ちた「母の国」日本へ

宗派や教派は違おうとも、神の業が現れるときに働く法則原則は同じである。イエス・キリストの先祖であるヤコブが、イスラエル(勝利者)という称号を神によって与えられたのは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教でともに信仰の祖と仰がれるアブラハムの心を受け継ぎ、その息子イサクの信仰を受け継ぎ、その上に立って魔から勝利したからだ。

もしも、聖徳太子が使命を勝利していたならば、神道がありながら仏教を拒まなかった欽明天皇の志しを受け、仏教を篤く信仰した用明天皇・そして和合の教えとして熟成させた聖徳太子、その息子・山背皇子は、アブラハム・イサク・ヤコブと同じ立場に立っていたはずだ。ヤコブの父・イサクがイスラエルの称号に並び立ったように、聖徳太子は神の啓示により、「大和」という称号を新たにもらったに違いない。とするならば、蜂子皇子はアブラハムの妻サラによって荒れ野に追われたイシマエル(イサクの腹違いの兄)の様な立場といえる。崇俊天皇が蘇我馬子に暗殺されなかったなら、蜂子皇子は最も天皇の位置に近かった存在である。聖徳太子と蜂子皇子は、一般的にも光の太子と影の太子と呼ばれるが、相反する境遇に立たされた二人が和し、日本に和合統一をもたらすことが出来たならば、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の世界的な問題も、日本から解決の道を見出していける可能性もあるのだ。

この聖徳太子の使命が果たされなかったがゆえに、朝廷にかかわる人物たちの心に魔界の情念がはびこるようになり、物部神道は中臣神道にすりかわり、仏教も形骸化していく。その後に現れる為政者たちの独裁専制は、やがて究極の分裂をもたらし、血で血を洗う戦国時代へと突入していくようになる。

六二二年に聖徳太子が没してから千三百八十二年後の2004年4月、太子の和の国造りの夢は、この出羽三山霊域において蜂子皇子と心をひとつにして立ちのぼることになった。そこから、恨みあい憎しみあう者が和合し、日本民族が母性の愛の国として立たせ、世界和合のための地上界への働きが始まるだろう。
 

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