17.江戸城総攻撃
勝は六七年一二月末に、諸官の嫌悪甚だしいと聞いたことから退職を乞い、「憤言一書」を呈して、天下の大権は公正に帰すべきことを論じていた。その勝が翌年一月二三日に陸軍総裁、若年寄次席となり全権を帯びるようになった。
勝は内乱に乗じた外国の干渉を恐れ、まず幕府とフランスのつながりを切った。それから、さまざまなつてをたどって、慶喜の降伏を受け入れて寛大に取り扱うように嘆願したが、天皇政府側は強硬であった。江戸城総攻撃は3月15日に予定された。
そこで、旗本の山岡鉄太郎(鉄舟)は勝の手紙を携え、決死の覚悟で駿河の大総督府を訪ね、参謀の西郷に慶喜の真意を説明して降伏条件を協議した。ようやく講和交渉の道が開かれ始めた。
勝は講和への布石を打つとともに、交戦となった場合の戦略も整えた。
官軍の戦略は東海、東山、北陸三道を進んできた兵が江戸に入ると、その後方の町を焼き払って交代できないようにし、前へ前へと進むしかないように駆り立てる方針という。江戸市街は焼け野原となって、罪もない民衆が何百万死ぬか分からない。
それにたいして勝の戦略も、官軍進撃の直前に市街を焼いて、その進軍を妨げる焦土戦術であった。
18.江戸城無血開城
勝は火消しの親分にゲリラ戦を依頼する。親分は博徒ややくざなどの顔役に声をかけゲリラを組織した。勝の合図があればいっせいに江戸に火をつける。ゲリラ戦で官軍をあらかた片付けてから、大鳥圭介ひきいる正規軍五千人が出動して、官軍に対抗しようというのが、海舟の作戦である。
そして戦火の中を逃げ惑う女、子供、年寄りを先に房総の漁船で救出し、木更津方面に逃がすというのが、第二段の作戦である。
三月一三日、西郷は勝の依頼を受けて、江戸高輪薩摩藩邸において勝と会見しようとしていた。会見の前に西郷は薩摩の背後にあるイギリスの公使パークスの言を伝え聞いた。パークスは万国公法を楯にとって慶喜をかばっているらしい。
西郷は勝と会見したが、ほとんど雑談で終わり改めて14日、再び薩摩藩邸で会見は行われた。旧知で尊敬しあった仲だけに心を割って話し、小異を捨てて大同につき結論を出した。江戸城の明け渡しが決まり、江戸は戦火を免れたのだ。
四月二日、江戸開城。慶喜は水戸に退隠し、ここに徳川政府は消滅、天皇政府が日本唯一の中央政府の地位を確保するに至った。
19.第一次との比較・関係
「第一次抗争期」における聖徳太子の「和の国」を創るための歩みは、思想的精神的な支柱を立てることから始まる。推古元年に四天王寺を建て、翌年には推古天皇に三宝興隆の詔をださせる。五九六(推古元年)から六〇〇年までは仏教興隆に心を注いでいるのだ。その土台の上で六〇一年から、具体的な政治改革に着手している。太子にとって最も重要な和のポイントは、蘇我馬子と推古天皇に和をもたらすことであった。この二人が自己の権力欲を超えて「和」するには、それぞれの心に潜む魔性を克服させなければならなかった。これが果たせなかったため、次世代となる山背大兄王・蘇我入鹿・中臣鎌足が分裂してしまう。だが、まだ地上における勢力圏のすべてまでは奪われていない「第一次抗争期」において、天界は巻き返しを試みる。
20.第一次の二度目の戦い
太子が歴史の起点と定めた六〇〇年から二百年の後、桓武天皇が律令政治再建と仏教革新のために、最澄を唐に送った。最澄は同じ船で唐に渡った空海と、そして自らの弟子である泰範とともに、太子が果たせなかった使命を受け継ぐ重大な役割があったのだ。それは、桓武天皇とともに政権の核となる三者(最澄たちではない)の、それぞれに心の魔性を克服させ、自己欲よりも、民族全体の平和と幸福を優先できるようにすることであった。
最澄・空海・泰範においては、宗教家として、自ら自身はもちろんのこと、他者においても魔性を克服する術を探し出し、悟りとして体感しなければならなかった。この三者の内で、もっとも重要なポイントを担っていたのは、泰範である。最澄と空海の、両者の弟子と言う立場で、二人の間をつながなければならなかった。しかし、それが果たせずに、最澄と空海は決別してしまう。その結果、泰範個人としての立場は、推古天皇と蘇我馬子に和をもたらすことができなかった聖徳太子と同じ失敗した立場に立ってしまった。さらに、最澄・空海・泰範の使命全体から見れば、思想的精神的な国の支柱が立たなくなった。それで魔界が地上に横行し、策謀と闘争が入り乱れながら、再び権力は魔界の代理人となった藤原氏へと移っていくようになったのだ。
21.第三次における天界の攻勢
最澄と空海が唐にわたった八〇四年から千年後、一八〇〇年以降には古学が完成域に達し、蘭学も盛んになり、国の思想的精神的な支柱を立てられる環境的条件がそろっていた。この環境圏に、最澄・空海・泰範が分裂に至った足跡を、分裂の危機に陥りながらも和に至らしめる三者が登場しなければ、天界の攻勢は実らない。その三者こそ、幕府の要人となった勝海舟であり、討幕派の代表となった西郷隆盛であり、勝を殺そうとまで思いながら、逆に弟子となった坂本龍馬である。やがて龍馬は、幕府内の立場が危うくなった勝海舟により、西郷の元に送られる。
まさしく、天皇から公認された最澄に代わって、時代的代理使命を担った人物こそ勝海舟である。そして空海の位置に立ったのが西郷隆盛、泰範の位置に立ったのが、勝の弟子でありながら、西郷のもとで活躍する坂本龍馬ということになる。天界の天使や善霊たちが、過去の使命者が果たせなかった使命を、代理使命者として地上の人間に託したとしても、その人間が行動で答えなければ、他の人物を探し出さなくてはならなくなる。
勝海舟が、殺意を持って近づいてきた坂本龍馬を改心させ、弟子とした時、この二人は使命者の位置を確立したと言っていい。
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