はじめに                                               目次へ 


 

  三十年前、私が身の程も知らず詩人を夢見て、山形から旅立とうとした早朝の出来事でした。
 空一面が灰色の雲で覆われていましたが、頭上から青空が広がり、一筋の雲が残りました。
 その雲が、東から顔を出し始めた朝日に照らし出され、空に現れた火の道となって、私が進もうとする道筋を照らし出したのです。
 「この道を行きなさい」
 目には見えない何者かが、そんなふうに言っているように感じられました。といっても、霊界や神などの存在は信じているわけではありませんでした。あまりにも神聖な雰囲気の風景に包まれて、何かドラマの主人公になった気分だったのです。


        


 それ以来30年の間、そのような自然現象で啓示を受け取ることはありませんでした。しかし、目に見えない世界など信じていなかった私の身の回りに、説明のできない霊現象と思われるものが現出しつづけ、少しずつ何か科学では説明のできない存在があるに違いないと思うようになり、やがて、それは確信となりつつありました。

 

 

 

 そのうえで、2004年2月24日に起きた出来事をきっかけにして、五か月の間にわたり、啓示をいただいては、翌日に、それが真実だと証明するかのように、名前を雲で空に書きだしてくれたり、さまざまな形象を光と雲で描き出して下さいました。その期間に、私は目に見えない存在とある意味でコンタクトをとれるようになっていくのです。

 

 そのようにして、目に見えない存在とのコンタクトから浮かび上がってきたものが、この日本史に秘められた善と悪との抗争史の内容でした。

☆2004年2月24日の日記より
 
 そして、思いはイエス様に向かった。神の願いを一身に受けて誕生したにもかかわらず、誰にも信じられず、十二弟子からさえ裏切られ、十字架上でただ一人、最後の決戦を闘われたイエス様・・・。その愛の闘いに臨む心の根底には、目的を果たしえずして肉体の命を終えなければならない悲しみがあった。その闘いに勝利されたからこそ、復活が可能になった。その悲しみを誰が知るだろう。

 そう思ったとき、丸いハンドルの一番上を握っていた右手の人差し指に、冷たい感覚を覚えた。人差し指の甲のほうを見てみると、一滴の透明な雫がのっていた。驚いて、車を路肩によせて止めた。室内灯をつけ、ハンドルの上の方を見てみるが、濡れているところなどない。ガラスにも、何の曇りもない。窓も開いてはいない。いたるところをさわってみたが、湿気を感じるところなどなかった。思い切ってなめてみる。無味無臭。ただの水なのかどうか・・・。霊的なものが物理現象として現れたのであれば、塩っ辛くなくても涙かもしれない、などと思った。イエス様の涙・・・。

 その翌日から五カ月余り、毎日が神様と霊人たちから霊示が伝えられて来る日々となりました。夜は祈り求め悟らされ、昼は雲と光で導かれ、ほんとうに不可思議としか言いようのない期間でした。日本史に秘められたひとつひとつの事柄が、鮮やかに浮かび上がってくることに興奮する日々でもありました。

 そして、最後に浮かび上がってきたのは、次元こそ違え、日本にもイエス様と同じような心情を通過して昇天した人物がいたという事でした。日本と言う国自体を十字架として担い、それぞれがその時代において、たったひとり、天の心情を抱きかかえて、それぞれの歴史の転換点で、命を供え物とした痕跡が日本の歴史の中にあったのです。

 2004年6月14日(月)

 日本史における重要な事柄のほとんどが紐解かれたと思われるこの日に、神様は雲の形象として頭上に現れてくださいました。中央の頭には冠をかぶられ、左手で天を指し示す弓矢を握りしめ、右手では地上に光を振りまいてくださっています。空一面にわたる巨大な形象ですので、三枚の写真をつなぎ合わせることになりました。

     


 7月まで現象が続き、その後は現れませんでしたが、その翌年、再び美しい光景と共に御言葉を下さいました。

 それは2005年4月13日(水)の夕方でした。虹色の光を放つ夕陽が現れると共に、心に響いてきたのです。

「日本を世界の母たる和の国に導くには、より多くの人々に歴史の秘密を伝えなければならない。」

 その意味するところは、「奇跡の日本史」の三次にわたる抗争史の内容を読んでいただければ、理解し納得していただけると思います。

     

        

 
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